秋ですね~
9月はあんまりなにもない1ヶ月でしたね。
いろいろ漫画のことすすめているので、また放てたらいいですね。
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作業中に足の裏がさみしいので、足ツボを刺激できるやつほしいな~と思ってamazonで探していました。
もっとも条件に合いそうなやつ…選ばれたのは、これです。
実家すぎる!!
もちろんビジュアルを知った上で買ったけど、実物を見ると、余計に……
実家ってここから始まっていくのか?
本当は、下端の「ピンポイント刺激用」の部分が欲しかっただけなんです。
ゴルフボールが半分埋まった凸型をしている。これを使って、好きなところをグニグニと刺激できる。
高校生のころ、通ってた塾の自習室の机の下にこういう謎の金属の突起があったんですよね。靴を脱いでずーっとそこを踏んで気持ちよくなっていた記憶があります。久しぶりにやったけど、やっぱり気持ちいい……
デメリット。あんまり1日じゅう強く圧迫を続けると、眠気が吹き飛んでしまう。目がバキバキに冴えて、まったく眠れなくなります。交感神経のギアがオーバートップに。副交感神経が活性化されて眠れるようになるとか言うけど、事実は逆!なんで?強く押しすぎてる?危険なので使わない時にはしまっておくことにしました。このピーキーさ、ドラえもんのひみつ道具なんだよな。1000円くらいで死ぬまで使えるからお得ではあります。エナジードリンクを捨てろ、カフェインと決別しろ、アルギニンを駆逐せよ、ただひたすら、足の裏を押せ!骨粉になるまで。
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●よかったもの(の一部)のコーナー
◼️『いまファンタジーにできること』
アーシュラ・K・ル=グウィンによる、ファンタジーというジャンルに関連するエッセイや講演録。
ジャンル作家的な活動をしていると、本当に色々思うことがあるんだろうな…の「本当に色々」の部分がいっぱい入っていて、読み応え抜群です。端的にいうと非常に怒っている。愛するものを守るための怒りの感情っていいですよね。ガチの感情だけを食わせておくれよ。
ファンタジーというジャンルを「現実逃避的だ」などと軽視する受け手、とくに評論家に対するやるせなさと憤りというものが繰り返し綴られていて、熱量がすごいです。
でも実際、大人になってからファンタジーを楽しんだり、そこに価値を感じた経験のない人にとって、「大人にとっても価値があるんだよ」と説得されても、「ふーん、あなたはそう思うんでしょうね…たしかに、世の中には、そう思う人も、いるでしょうね。しかし、私はそうは思いませんし、そんなこと言われてもねぇ……」としか言えないだろうし、難しいですよね。こういうコミュニティ外の人の浅い理解に対する怒りの虚しさみたいなのってありますよね。結局、コミュニティ内部の団結を強めて、排他的な傾向を強める働きしかしない気もするし……う〜ん?
とりあえず、『バンビ』の原作がいかに素晴らしいかが力説されているので、読んでみよ、となりました。
◼️『crow country』
閉園した遊園地を舞台にしたサバイバルホラーゲーム。PS5のゲームカタログに来てたのでやりました。
バイオハザード(初代)も大好きなので、リスペクトした本作も、全体的に高品質でとても面白かったです。
それにしても閉鎖された遊園地……いいですよねぇ。自分はこういう「子供向けモチーフを用いたホラー」が好きなので、とてもうれしいです。勝手に「キンダー・ナイトメア(児童的悪夢)」と呼んでるジャンルに入ってきます。こういうの、勝手にジャンル名をつけるくらいには好きです。
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crow countryから話がそれるんですが、せっかくなのでキンダー・ナイトメアの話をさせてください。長いです。
児童的な世界に残酷さが持ち込まれるのって、「ギャップがおもしれ~」みたいな、直接的な刺激を引き出す以上の、なにか根深い欲求があるんじゃないんかなぁ、とつねづね思ってます。
そもそも、幸福な状態というのはどこか凄惨な未来を予感させるものですよね。良いことは永遠に続かないという直感は、悲しみから身を守るための防衛本能の一種です。ペシミスト、懐疑主義的傾向を持つ人間ならなおさら。より一般化すると、善なるものを観測したとき、その裏に悪を見出すことで、安心して善を純粋なものとして受け入れたい、という心の働きがあると思います。純粋な善が独立して存在することに対する恐怖。必ず悪を内包しているはずだという確信。だからこそ、桜の木の下には死体が埋まっているという想像が、慰めになるわけです。
あとは、桜の根元の土が剥がれて、本当に死体が露出するかしないかの差でしかないわけです。露出までやっちゃうのがキンダー・ナイトメアです。そこでは子供世界に残酷な論理が持ち込まれますが、これはギャップではなく、公正的な世界の調和そのものなのかもしれません。天秤の両端が釣り合っている状態のことをギャップとは言わないのと同じことで。
開発者の意図していないものなので適切な例ではないかもしれませんが、『ぼくのなつやすみ』の「8月32日バグ」は、ただのバグだし、本来は作品世界を毀損するものなんだけど、自分はバグ込みでどこかこの作品の完全性を感じてしまう。「世界って本来こういうものだよな」という納得感を見出さずにはいられない部分があるわけです。
ただ、たんなる善悪のバランスというだけなら、なにも子供時代に限定する必要はないはずです。自分がキンダー・ナイトメアに固執する理由は、経験則的に子供時代と残酷さが分かちがたく結びついているからじゃないでしょうか。
そもそも、みなさんは子供時代が楽しかったですか? 自分は色んな理由から、あんまり楽しくなかったです。だいたい、人生のはじめの方に倫理観がまだ成熟していない集団と共同生活しないといけないというのは、ハードすぎませんか?そこには当たり前に暴力も支配関係もあるし、子どもの世界だから法律にすら一歩距離を置かれている。その上で、未成年はひどい環境から自力で脱出する能力も発想もない。さらには自分の方も見識が狭いから、それがひどい環境だと気づくきっかけすらない。檻の中の自然状態、残酷な万人闘争の季節です。
反面、大人になってからは身に受ける不条理も理不尽も減りました。もちろん皆無ではないですが、ほとんどの他者は十分な道徳が備わっていて、法的制裁を恐れており、そしてこちらにも危険の防御と回避の手札が揃っていますから。もちろん、本当に大人になってから世界が安全化されたかは、人によって感じ方が分かれるところですよね。子供時代の方が保護下にあったという意味では幸福だったというケースももちろんありますし。そこは人によると思います。
ただひとつ言えるのは、子供時代に感じた恐怖や理不尽というのは簡単には払拭できないし、その後の人生で折に触れて向き合い続ける必要があるということ。児童性と残虐さは、ある種の人間にとって記憶の中で分かちがたく結びついていて、キンダー・ナイトメアは、その種の人間にとって「地に足についた納得感のある世界」を提供してくれる。そして、その中での冒険は幼少期のトラウマの再演と、その物語に決着をつけるということを意味する。だからこそ自分は少なくともこういうメディアを通じて心の傷が癒やされる実感があり、たいへんありがたいな、という気持ちがあります。
単に物語をセラピーの道具として捉えるのはある種の矮小化ですが、多かれ少なかれ、みんなエンターテイメントの内部に人間の死を観測して、それを日常の糧としてる部分ってありますもんね。生命は死を取り込まないと生きてはいけないし、その死がどういう質感のものなのかという問題にすぎない。ル=グウィンがファンタジーに対して強い存在意義を感じるのと同じく、自分もいろんな意味でこうした児童的悲劇の実質的な価値を信じています。子供っぽいモチーフが残酷なことをしていたらおもしれ~というような、非常に悪趣味な表面的刺激を楽しんでいるということも、もちろん認めつつ……
今回はビデオゲームに話を絞りましたが、ゲームはそもそもハードとしてレトロ的表現が得意なので、ノスタルジーとその毀損がうまく表現できる、良いメディアだよな~と思います。本当は児童文学とか絵本とかそのへんの話もできたら良いんだけど、長くなりすぎるので、このへんで…
これからも、ペシミストかつあんまりイケてない子供時代を過ごした自分はキンダー・ナイトメアの子守唄を求めて彷徨っていきます。ほな。
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そろそろ終わり。
『うさぎの本』、9月中に電子版公開のつもりでしたが、諸事情でもうちょっとかかりそうです。いろいろ気が変わったので早い段階でpixivとかに無料公開するかも。たぶんします。またアナウンスするのでそのときよろしくです。
それではまた来月
今年もあと100日切りました
がんばりましょう!
がんばらなくても、可